カンテソロの深淵 VOL.1

カンタオーラ画像 JOSE日記

今回のイベントの趣旨

森薫里といまだひろしが演奏している写真

これまで当スタジオでは、踊りに加え、カンテやスペイン語など、フラメンコを多角的に学ぶ機会を設けてきました。その中であらためて必要だと感じたのは、「カンテそのものを、じっくり聴く時間」の大切さです。カンテの深さや、ギターとの繊細な対話に純粋に耳を傾ける機会は、決して多くありません。

普段のレッスンや舞台では、どうしても踊ることに意識が向きます。
しかし今回、森薫里さんのカンテと今田央さんのギターを間近で聴いた生徒さんの多くが、「これまでとはまったく違う聴こえ方がした」「なぜ踊りが難しいのか、初めて理解できた」と話していたのが印象的でした。

今回の企画は、当スタジオでカンテレッスンを担当する森薫里さんと、ギタリスト今田央さんの協力により実現しました。今田さんからは、演奏者の視点でカンテとどう向き合い、何を聴き、どのように音を選んでいるのかを直接伝えていただきました。

また、スタジオコンサート直後というタイミングもあり、皆さんの感覚が開かれている今だからこそ、より深く受け取ることのできる機会になったと感じています。

技術や形だけでなく、フラメンコの内側にあるものに触れ、「フラメンコとは何か」を探ること。
そして、「聴く」という体験を通して、それぞれのフラメンコとの向き合い方を、より立体的で豊かなものにすること。

そのような目的のもと、本会を開催しました。

森薫里さんプロフィール

幼少よりクラシックピアノを学び、大学卒業旅行で訪れたスペインでフラメンコに出会う。1991年より踊りを椿尚美氏、1992年よりカンテをエンリケ坂井氏に師事。1993年、1997年に渡西し、マドリッド、セビリア、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラなどで約2年間研鑽を積む。

帰国後は1999年にホセ・ガルバンをゲストに迎えコンサートを開催。2001年、日本フラメンコ協会主催新人公演にて入賞。フラメンコグループ「Cuadro Atlanta」の一員として客船にっぽん丸クルーズ公演に出演するなど、国内外で活動を重ねる。

現在は公演、タブラオ、イベント出演のほか、後進の指導にも力を注いでいる。

今田央さんプロフィール

大学在学中にフラメンコギターを始め、鈴木英夫、日野道生に師事。1992年に渡西し、マドリッドおよびヘレス・デ・ラ・フロンテーラにて研鑽を積む。1995年帰国後、1996年に日本フラメンコ協会新人奨励賞を受賞。現在は演奏活動のほか、洗足学園音楽大学非常勤講師として後進の指導にもあたっている。

そもそもカンテソロとは

森薫里が歌っている写真

カンテソロとは、踊りを伴わずカンテとギターだけで成立する、フラメンコの最も本質的な形です。

フラメンコは、まずカンテがあり、その呼吸や感情に応えるようにギターが入り、そして踊りが加わります。
つまり踊りは、カンテの上に成り立っています。

しかし、カンテソロを聴く機会がないまま踊り続けていると、振付やタイミングは合っていても、「なぜそこで動くのか」「なぜそこで止まるのか」という根本的な理由を、理解することが難しくなります。

カンテは毎回同じではありません
伸びることもあれば、早まることもあり、感情によって間も変わります。
その変化を聴き取り、受け取り、応答することが、フラメンコの本質です。

カンテソロを聴くことは、その“変化の理由”を知ることでもあります。
ギターがなぜその一音を弾くのか。
カンテがなぜそこで間を取るのか。
そして、踊りがなぜそこから生まれるのか。

それを理解したとき、これまで同じように踊っていた振付が、まったく違う意味を持ち始めます。

カンテソロは、単なる歌の鑑賞ではなく、フラメンコの構造そのものを体験する機会なのです。

カンテ豆知識

タブラオフラメンコの光景

リブレのカンテ

例えば今回歌われたグラナイーナは、「リブレ(libre)」と呼ばれる形式のカンテです。
リブレとは、コンパス(一定のリズム)に縛られないいわば自由なカンテのことを指します。

ブレリアやタンゴのように周期的なリズムがないため、長さも間も、その都度変わります。
カンテの呼吸や感情によって、時間そのものが伸び縮みするのが特徴です。

そのためギターは、決められたパターンを弾くのではなく、カンテの一音一音を聴きながら、その瞬間ごとに音を選び、寄り添っていきます。

リブレのカンテは、フラメンコの中でも特に、カンテとギターの関係性が色濃く現れる形式です。


ギターとカンテの事前打ち合わせ

実は、カンテソロの前には、ある程度の「事前打ち合わせ」が行われます。
完全に何も決めずに始まるわけではありません。

主に確認されるのは、次のような内容です。

  • 曲種(ファンダンゴなのか、グラナイーナなのか、など)
  • カポタストの位置
  • 調(tono)
  • 出だしの雰囲気やテンポ感の方向性

ただし、ここで重要なのは、「すべてを決めすぎない」ということです。

なぜなら、カンテの本質は、その瞬間に生まれる表現だからです。
細かく決めすぎると、歌い手もギタリストも「予定通りにこなす」ことに意識が向き、
本来の自由な表現や感情の揺らぎが失われてしまいます。

本物のプロほど、打ち合わせは最低限にとどめます。
互いの気分を下げず、即興の余白を残すためです。

これは、踊りの伴奏にも共通しています。
すべてを固定するのではなく、その場の呼吸を感じながら反応する。

その緊張感と信頼関係こそが、
舞台上でしか生まれない、特別な瞬間を作り出すのです。


カポタスト

ギターの写真

ギターのネックについている小さな器具は、「カポタスト、スペイン語では cejilla(セヒージャ)」と呼ばれます。

これは弦を押さえる位置を変えることで、ギター全体の音の高さを調整するためのものです。
フラメンコでは、カンテの声域に合わせてカポタストの位置を決めます。

フラメンコギターにおいて、カポタストは、単なるキー調整の道具ではありません。
それは、カンテの個性を最大限に引き出すための、極めて重要な表現の一部です。

フラメンコでは、まず「歌い手の声」が中心にあります。
歌い手が最も表現しやすく、最も感情を乗せやすい音の高さに合わせて、ギタリストがセヒージャの位置を決めます。セヒージャの位置によって音色・緊張感・空気感が大きく変わります。

これは単なる移調ではなく、
「その日の声、その瞬間の表現」に合わせて音の世界を作る作業なのです。


調(ポル・メディオとポル・アリーバ)

伝統的なフラメンコにおいて、ギターの基本的な構えは
por medio(ポル・メディオ)por arriba(ポル・アリーバ) の、ほぼ二つだけでした。

これは単なる「キーの違い」ではなく、
フラメンコという音楽の骨格そのものを形づくる、最も根源的なポジションです。


■ por medio(ポル・メディオ)
基準:ラ(A)
低く、重く、内側へ沈み込む響き。
シギリージャ、タンゴなど、深い感情を表現するカンテに用いられてきました。


■ por arriba(ポル・アリーバ)
基準:ミ(E)
明るく、鋭く、張り詰めた響き。
アレグリアスやブレリアスなど、緊張感と推進力を持つ曲に用いられてきました。


現在では、他のポジション(por taranta など)も使われますが、
それらは後の発展によるものです。

もともとフラメンコは、
この por medio と por arriba という二つの世界 を中心に発展してきました。

カンテはそのどちらかの世界に身を置き、
ギターはそれを支え、
そしてcejilla(カポタスト)によって、歌い手に最もふさわしい高さへと調整されます。

つまりフラメンコの「調」とは、単なる音の高さではなく、
どの精神的な響きの世界に立つかを選ぶことでもあるのです。

ギタリストの座る位置

カンテソロの写真

カンテソロの際、ギタリストは客席から見て、常にカンタオールの右側に座ります。

これは単なる慣習ではなく、演奏上の重要な理由があります。
まず、ギタリストが歌い手の表情や呼吸を正面からしっかりと見るためです。フラメンコでは、テンポや入りのタイミングは、事前に厳密に決められるものではなく、歌い手の一瞬の気配によって決まることが多くあります。ギタリストはそのわずかな変化を見逃さず、即座に反応する必要があります。

もうひとつの理由は、音の向きです。
ギターのサウンドホールは、音が最も豊かに放たれる場所です。そのサウンドホールがカンタオールの方向を向く位置に座ることで、歌い手はギターの音を明確に聴きながら歌うことができます。

つまりこの配置は、
ギターがカンテを支え、カンテと呼吸を共有するための、最も自然な位置関係なのです。

客席から見ると何気ない並びに見えますが、そこにはカンテとギターが深く対話するための、合理的で伝統的な意味が込められています。

今回歌った曲

カンタオーラ画像

ファンダンゴ

ファンダンゴは、フラメンコを象徴する重要な曲種のひとつでありながら、その実態は非常に奥深く、多様性に満ちています。今回のカンテソロでも、このファンダンゴを通して、カンテとギターの関係性、そしてフラメンコの本質的な部分が鮮明に表れていました。


ファンダンゴとは何か ― ウェルバとの違い

一般に「ファンダンゴ」と聞くと、リズミカルで親しみやすいファンダンゴ・デ・ウェルバ(Fandangos de Huelva)を思い浮かべる方が多いかもしれません。

しかし今回歌われたのは、それとは異なる
ファンダンゴ・ナトゥラル(Fandangos naturales)と呼ばれる形式です。

ファンダンゴ・デ・ウェルバが明確なコンパス(リズム)を持つのに対し、
ファンダンゴ・ナトゥラルはリブレ(自由拍)で歌われます。

リズムに縛られないからこそ、
歌い手の呼吸、感情、間が、そのまま音楽になります。

つまり、
踊るためのファンダンゴではなく、
“聴くためのファンダンゴ”といえる存在です。


スペイン全土に広がる「歌の原型」

ファンダンゴはもともと、特定の地域だけのものではなく、
スペイン各地に存在していた、非常にポピュラーな歌の形式でした。

各地で独自の発展を遂げ、

  • ウェルバ
  • マラガ
  • グラナダ
  • エストレマドゥーラ
  • カスティーリャ

など、それぞれの土地の個性を反映したファンダンゴが生まれました。

やがてそれらは、フラメンコの中に取り込まれ、洗練され、
現在のファンダンゴ・ナトゥラルへと結実していきます。

つまりファンダンゴは、
スペインの民衆の歌が、フラメンコの芸術へと昇華したものなのです。


今回の演奏構成 ― 転調による空間の変化

今回の演奏では、ファンダンゴの典型的な構成が丁寧に示されました。

ファンダンゴは、複数の「歌(letra)」によって構成されます。
今回は4つの歌から成る構成でした。

まず、第1歌・第2歌は、
ポル・メディオ(por medio)で歌われました。

低く、重心のある響きが、カンテの深みを強調します。

その後、ギターのファルセータ(間奏)を挟み、ポル・アリーバ(por arriba)に転調。
空気が変わり、第3歌・第4歌へと進みました。

この転調は単なる音の変化ではなく、
カンテの感情の層が切り替わる瞬間でもあります。

聴き手にとっても、
目に見えない風景が変わるような感覚を体験できる場面です。


グロリア ― 解釈が分かれる瞬間

第3、4歌は、「グロリア(Gloria)」と呼ばれる特別な歌でした。

この部分では、伴奏の在り方について、
ギタリスト今田さんと森さんの間で、解釈の違いが示されました。

ギターが積極的に支えるべきか、
それとも、あえて音を抑え、カンテを際立たせるべきか。

どちらが正しい、という問題ではなく、
フラメンコが、固定された形ではなく、解釈と対話の芸術であることを示す、非常に示唆に富んだ瞬間でした。

こうした“揺らぎ”こそが、
生のフラメンコの核心でもあります。


El Niño Gloria (ニーニョ・デ・グロリア)の存在

この「グロリア」の歌は、
El Niño Gloria (ニーニョ・デ・グロリア)によって広く知られるようになりました。

彼はヘレス出身の伝説的なカンタオールであり、
ファンダンゴの表現を大きく発展させた人物のひとりです。

彼の歌は、過度に装飾されることなく、
しかし深い感情と緊張感を湛えています。

今回の演奏でも、その系譜に連なる表現が示され、
ファンダンゴが単なる形式ではなく、
歌い継がれてきた“生きた伝統”であることを、あらためて感じさせる時間となりました。

歌詞和訳

ファンダンゴ

①私の心に言う

お前はいいやつじゃないよ

すぐに人を好きになって

そのあとに傷つくのは俺で

夜も昼も

泣くことになる

②マカレーナの聖母に

自分の罪を話したよ

聖母はその悲しみを泣いてくれた

聖母よ

罪人のために

泣くなんてなんていい人なんだ!

③お前はみんなに話していた

私をとても憎んでいると

でも、私は見たよ

ある日、私のことを忘れられず

酔っぱらって正気を失っているたおまえのことを

④初めての時のように

お前を愛してくれとは頼まないでくれ

お前は昔のお前ではないし

私も同じ女ではない

時間が変えてしまったのだ

グラナイーナ

カンタオール画像

グラナイーナは、ファンダンゴと同じく「リブレ(自由拍)」で歌われるカンテですが、その性格は大きく異なります。

ファンダンゴが人間的で内面的な感情を感じさせるのに対し、グラナイーナは、より静かで、透明感があり、どこか空間的な広がりを感じさせます。

一音一音が空間に浮かび上がり、消えていく。
その繊細な時間の流れこそが、グラナイーナの大きな魅力です。

今回の演奏でも、森さんの声と今田さんのギターが、互いの音を丁寧に聴きながら、極めて緊張感の高い対話を生み出していました。


グラナイーナとメディオ・グラナイーナ

グラナイーナを学ぶ際、必ず登場するのが
「グラナイーナ」「メディオ・グラナイーナ」という2つの名称です。

一般には、

  • グラナイーナ:より自由で、静かに始まる形式
  • メディオ・グラナイーナ:やや旋律的で、後半に向かって高揚する形式

と説明されることが多く、実際の演奏でも、性格の違いとして認識されています。

ただし、この区別については、明確な境界があるというよりも、後世の整理によって定着した側面もあると言われています。


今田さん情報 ― レコードのタイトルの「分類」から生まれた可能性

今回、今田さんから非常に興味深い話がありました。

それは、
もともと明確に区別されていなかった歌が、レコード録音の際に便宜的に「グラナイーナ」「メディオ・グラナイーナ」と分類されはしましたが、出版の段階の錯誤でそれぞれを逆の表記にしてしまい、それが認識されるようになったのでは・・・というお話

初期の録音時代には、
録音会社が曲を整理・分類する必要があり、必ずしも演奏者自身の厳密な意図とは一致しない形でタイトルが付けられることもありました。

つまり現在私たちが学んでいる「形式」は、
純粋な口承だけでなく、録音文化によって形作られた側面も持っているということです。

アントニオ・チャコンについて

グラナイーナを語る上で欠かすことのできない存在が、Don Antonio Chacón(ドン・アントニオ・チャコン)です。

19世紀末から20世紀初頭に活躍した彼は、グラナイーナを現在知られている芸術的な形式へと高めた人物とされています。

それまで民謡的な性格が強かったグラナイーナを、
より繊細で、音楽的構築性の高いカンテへと昇華させました。

彼の歌は、力強さよりも、
音の純度、間、そして旋律の美しさに重きを置いています。

現在歌われているグラナイーナの多くは、直接的または間接的に、彼の影響の中にあります。

歌詞和訳

グラナイーナ

①ビーナスの庭に入ったよ

愛する花を摘むために

そして黒いユリを摘んだよ

それは、私が探していた花

私の悲しみを取り去ってくれるもの

②私が行くことのできる場所を

教えておくれ

私は、一人で自分の悲しみに泣きくれるだけ

あなたを思い出して

あなたを思い出したくて

今田さんからの話

今田さんからカンテとギターの関係について、実演を交えながらの解説がありました。

普段は「なんとなく聴いている」部分に、実は非常に繊細で高度なやり取りが存在していることを知る、大変貴重な時間となりました。


カンテは「5行詩」でできている

多くのファンダンゴの歌詞は、5行の詩(キンティージャ)で構成されています。

実際には、

2 → 1 → 2 → 3 → 4 → 5

という順序で歌われることが多くあります。

これは、最初に第2行を提示することで、聴き手の注意を引き、
その後に第1行へ戻ることで、歌の世界をより印象的に立ち上げるためです。


ギターの「合いの手」を聴く

この構造を理解すると、ぜひ注目していただきたいのが、
歌い出しの直後に入るギターの合いの手(レスポンス)です。

カンタオールが最初の一節を歌ったあと、
ギタリストは、その歌の調性、ニュアンス、呼吸を瞬時に受け取り、
次の歌へ自然につながる音を差し出します。

それは単なる伴奏ではなく、
カンテに対する返答であり、対話そのものです。

この一瞬のやり取りには、
ギタリストの経験、感性、そしてカンテへの深い理解が凝縮されています。

今回の演奏でも、森の歌さんに対して今田さんが差し出す音は、
常に歌の呼吸と完全に一致しており、
カンテとギターが一体となって音楽を形作っていく過程を、間近で感じることができました。


各曲種には「前身」がある

さらに今田さんは、
現在知られている多くのフラメンコの曲種には、
その前身となる歌が存在していることについても触れられました。

例えば、

  • グラナイーナは、ファンダンゴを起源とし
  • ソレアやシギリージャも、それぞれ異なる民衆の歌の系譜から発展しています

つまり、フラメンコの曲種は最初から完成された形で存在したのではなく、
人々の歌が長い時間をかけて洗練され、現在の形へと結実したものです。

この視点を持つことで、
それぞれのカンテを「形式」としてだけでなく、
長い時間の中で育まれてきた“生きた表現”として聴くことができるようになります。

森さんからの話

森からは、カンテを歌う立場ならではの、非常に本質的なお話がありました。


伴奏によって、カンテの出来栄えは大きく変わる

カンテは一人で完結するものではなく、ギターとの関係によってその表現は大きく変わります。

同じ歌であっても、
ギタリストが差し出す音、呼吸、間合いによって、
歌いやすさも、感情の深まり方も、まったく異なるものになります。

ギターは単なる伴奏ではなく、
カンテの表現を引き出す存在であり、時には歌い手自身も予想していなかった領域へ導く存在でもあります。

今回の演奏でも、カンテとギターが互いに影響し合いながら、その瞬間にしか生まれない音楽が立ち上がっていく様子を感じることができました。


カンテを聴くコツは、「難しく考えない」こと

カンテは難しいもの、と感じる方も多いかもしれません。

しかし森さんは、
「まずは難しく考えずに聴くことが大切」
と話していました。

歌詞の意味や形式を理解することも大切ですが、
それ以上に、声の響きや、感情の動き、空気の変化をそのまま受け取ること。

理屈ではなく、感覚で聴くこと。
それが、カンテと自然につながるための第一歩です。


聴くべきカンタオールたち

森さんが特に大きな影響を受けたカンタオールとして、次の名前が挙げられました。

  • カマロン・デ・ラ・イスラ(Camarón de la Isla)
  • マイテ・マルティン(Mayte Martín)
  • ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(Niña de los Peines)

いずれも、時代を代表するカンタオールでありながら、それぞれまったく異なる個性と表現を持っています。

また、多くのスペイン人が手本とする
アントニオ・マイレーナについても触れられました。

森さん自身、最初はその良さが響かなかったそうですが、
聴き続けるうちに、その奥深さと、本質的なフラメンコの価値に気づいていったといいます。

これは、カンテが一度で理解できるものではなく、
聴き手自身の経験や時間とともに、少しずつ見えてくるものであることを示しています。

まとめ

今回の「カンテソロの深淵 VOL.1」は、
カンテソロと正面から向き合う時間となりました。

森さんのカンテと、今田さんのギター。
そのやり取りの一つひとつから見えてきたのは、フラメンコが単なる振付や形式ではなく、
その瞬間に生まれる対話そのものであるということでした。

カンテは5行の詩から構成され、その順序や間、呼吸によって世界が立ち上がります。
ギターはそれに応答し、時に導き、時に支えながら、音楽を共に形作っていきます。

また、ファンダンゴやグラナイーナといった曲種の背景や系譜を知ることで、
一つひとつの音の意味がより立体的に感じられるようになったのではないでしょうか。

そして何より印象的だったのは、
カンテは「理解してから聴くもの」ではなく、
聴き続けることで、少しずつ理解が深まっていくものだということでした。

実際に参加した生徒のみなさんからは、
「これまでとは違う聴こえ方がした」
「踊るときの意識が変わりそう」
といった声も聞かれ、聴くことそのものが、フラメンコの理解に直結していることを、あらためて実感する機会となりました。

このように、カンテを中心に据えて深く聴く機会は、決して多くありません。
しかし、フラメンコと向き合う上で、これほど重要な体験もまた、他にはありません。

今回参加された方にとっては、自身のフラメンコとの向き合い方をより深める時間となり、
またその必要性を強く感じていただける機会になったのではないかと思います。

本企画は、今後もVOL.2の開催、そして他地域での開催も視野に入れています。

フラメンコの核心に触れるこの時間を、引き続き体験していただけたら嬉しく思います。

フラメンコを、より深く学びたい方へ

当スタジオでは、踊りのレッスンに加え、
カンテ、ギター、カホン・パルマなど、フラメンコを多角的に学ぶ機会を提供しています。

また、今回のような
カンテを聴く会、スタジオコンサート、スペイン文化・音楽関連イベントなど、
フラメンコの本質に触れる企画も定期的に開催しています。

フラメンコを始めたばかりの方から、
より深く理解したい方、舞台を目指す方まで、
それぞれの段階に応じて学びを深めていくことができます。

お問い合わせはこちら。



    お電話でのお問合せは
    090-9207-4070

    Eメールは
    mail@flamenco-mari.com
    LINEは

    LINEでお問い合わせ用のQRコード

    担当:三浦


    タイトルとURLをコピーしました